徒然日記

大竹達也のブログです。Facebookよりもちょっと日常的な感じの。

芽吹祭中止を受けて痛む老害の心情を綴る

いつものようにTwitterを眺めていたら、こちらの投稿が目に飛び込んでまいりました。

 

このご時世で難しいだろうなと薄々分かってはいましたが、いざ実際に中止を目の当たりにすると、結構堪えるものがあるなと。

あぁ...出来ないんだ...芽吹祭。

 

この企画は私にとっては並々ならない想い入れがありまして、先ずはそんな昔話にお付き合いくださいませ。(※長いです。)

芽吹祭というのは、私が大学に入る以前は「文連祭」という形で農大文化部の合同文化祭という位置づけで、小規模ながらも40年以上にわたり毎年開催されてきた伝統行事でした。

そして私の入学した2015年、当時文化部の運営執行代だった2つ上の先輩方がこの文連祭を「内輪の小規模なものでなく、もっと大きくしよう!」ということで、秋の収穫祭(農大の学園祭)と対を成すように春の「芽吹祭」としてリニューアルしたわけです。すごい!

4月に管弦楽部に入部していた私にとっては、6月の芽吹祭は大学に入って初めての本番でしたし、今まで関わる機会が無かった、同じ部室棟で一緒に活動している他のジャンルの人達の作品に触れたり交流が出来る機会というのはとてもワクワクするものがあり、めちゃめちゃ楽しかったことを覚えています。今思えば変な1年生だったのかも…笑。

そこから時は流れ私は部活動の自治組織である文連本部に所属することとなり、芽吹祭を運営する側の立場となりました。しかしながら、前年度に一気に規模を拡大し過ぎて運営側にも参加団体側にも色々な綻びが出てきており、更にその年は農大の創立125周年記念事業とも重なり、遂に中止となってしまったのです。

正直、その当時は芽吹祭に対してそこまで執着している部活団体は減ってきていて「あんなに大変なのに見返りが少な過ぎる」という反応が増えていたのも確かではありました。中止を受けて改めて2015年の芽吹祭の記録や見分から振り返ってみても、やはり無理はあったようで、、、

1000人規模の講堂でのステージパフォーマンスにお客さんが1人も居ない時間帯があったり、委員会と団体間のトラブルも少なくなく、また委員会の中でも、当時の幹部のスキルや人脈ありきの企画が多く、マニュアル化して引継げる範囲を超えていたりと、どうにもならない所まで来ていたという実感はありました。

 

しかし、私は文連本部役員として芽吹祭という企画に大きな可能性を感じており、中止が決まって早々に芽吹祭再建の代表に立候補、過去の資料を読み漁ったり芽吹祭の運営経験のある諸先輩方に当時のお話を聞きに行ったりと準備を進め、その年の冬には団体を説得し各部の代表から成る実行委員会を立ち上げ、仲間と共に今の農大に合った芽吹祭の再構築を目指しました。

そこからはトントン拍子で(勿論大変なことは多々ありましたが)大学側や自治体からの協力も得て無事芽吹祭は復活を果たしたのでした。

そこからは有難いことに優秀な後輩たちがバトンを引き継いでくれて、これまで3年間途絶えずに、むしろ更に盛り上げてくれています。

 

本当に心から嬉しかったし、後輩たちの活躍は自分自身の励みにもなっていました。

しかし今回コロナの影響での中止。。。事業としてもここ数年で良い流れが出来つつあっただけに、苦渋の決断だったのではと想像します。

やむを得ない中止とは言え、芽吹祭の性質上、一度中止になると再興が大変なのも確かです。

今年度中止となったものを来年に持ち越すとして、来年度執行代を担う子達が唯一経験した芽吹祭は、右も左も分からない頃、1年生の6月の1回限りです。そんな今の2年生の中に、当時にして2年後自分がその芽吹祭を執行する立場にいることを想定して参加していた人はまず居ないでしょう。

 

上級生としては、きっと希望を持って一生懸命準備を進めていたであろう企画が、こんなにも呆気なく終わってしまって、心底悔しいだろうなと思います。

ただ、努力したことが思い通りにならないことは往々にしてあるけれど、努力したという事実は決して消えることは無いので、胸を張ってその無念は後輩たちに全力で託して欲しいと願います。

 

現役時代の大変さを知っているだけに、とても他人事とは思えず、ついつい長文を綴ってしまった。。。最後は頑張っている現役生へのエールにて締めたいと思います。

現役の皆様。お疲れ様でした。

努力が報われなかった悔しさに同情の念を抱くと共に、早期収束を心から願います。