差し入れ
先月、農大管弦の定期演奏会に、受付スタッフとして参加した。
昨年度は春も秋も開演できなかったので実に1年半ぶりの本番だったが、それでもコロナの影響を多分に受け、最後までギリギリの決断だったらしい。
練習も制限されている中で、演奏会経験を断たれた運営執行代。
久々に顔を合わすOBの面々もいたし、進路を違えた後輩達のことも現役の子達のことも気になっていたので、個人的にはそれだけで十分に濃い時間だった。
「開催出来て本当に良かったね」という心からの安堵と「どうして大学生の貴重な時間がこんなにも制限されなければいけないのだろう」という遣る瀬無さで感情の収拾がつかなかった。
(演奏会が終演しても、打ち上げや飲み会などがなかったから、余計に)
受付スタッフをしていて一番心苦しかったのが、差し入れを断る時だった。
今回はご来場は関係者のみで、かつ完全予約制で、案内と注意事項として来場者全員に差し入れをお断りする旨は連絡済みだったが、それでも好意で持ってきてくれる人はある程度いた。
顔馴染みのOBやずっと応援して下さっているファンの方など、想いの強い人達からだったから尚のこと心が傷んだ。
また、自分自身が差し入れに思い出が深かったからというのも大きいかも知れない。
現役だった頃の自分は、頑張って創り上げた音楽をみんなに聴いて欲しくて、農大管弦の活動をみんなに知って欲しくて、自分の今をみんなに見て欲しくて、たくさんの人を演奏会に誘った。
もちろん、来てくれるのは連絡した友達のうちの一握りで、その中で差し入れを持ってきてくれるのはもっと貴重だった。
演奏会が終わって差し入れを食べながら感謝と達成感でいっぱいになるあの時間が好きだった。
平たく言ってしまえば演奏会のご褒美みたいなものだが、自分にとっての差し入れにはそれ以上の特別な価値があった。
現役の子達があまりにも不憫でならなくて、演奏会が終わってから代の連中に声を掛けてみんなで折半してお菓子を送った。
この程度しかしてあげられないやるせなさがあった。
以前のように大手を振って演奏会ができて、好きなだけ差し入れが出来るような世の中が早く戻ってくることを、心から願うばかりである。